ほんのひとつき

7月が終わっていく。

 

仕事と住まいが大幅に変わった5月ごろからここで細々と続けていた「書く」という行為について、このひとつき、本当に立ち向かうことができず少し困っていた。

どこかの占いで見た「2017年上半期は1度すべてを出しきってしまうので、下半期、特に7月は『燃え尽きた』感じで何もできなくなってしまうかも」というような状態にまさに近く、(文章による影響を受けやすいタイプなのでそれを真に受けている可能性もあるが)遅れてきた5月病のような状態がここのところ続いていた気がする。

 

ふだん私が「書く」ときは、思ったことをそのままつらつらと書き始め、好きなリズムだったり言い回しに勢いがつくと夢中になって筆が進み、満足して書き終わった後は気持ちの整理ができてすっきり!・・・というタイプ。

ただこのひとつきは、思ったことを書こうにも書けない、そんな気持ち悪さとやる気のなさを感じていた。結果、自己の精神にまとまりがないことを良くない方面で考え込んでしまって、いよいよどこにも逃げ場がない・・・という状態が続く。

たいへんつらく、しばらくはインプット作業、もしくは本当にしんどい時は「何もしない」*1ことに徹していたと思う。

 

とはいえ、「書く」という行為以外でアウトプットしていたことも多い。

アウトプットの方法なんて本人次第なのだから良いも悪いも無いとは思っているが、このひとつき特にしていた「何でもないことで人と連絡を取る・話す」ということはとても助けられたし良かったな、と今更に思う。

それは自分からその手段を取ることもあれば、偶然か、はたまた何かを感じたのか友人から不意にくることも多かった。

 

その相手はこちらの友達ももちろんなのだけど、一番助けになったのは京都にいる友人だとか、自分の住まいとは別の土地で頑張っている古くからの友人達の存在だった。

近しい話やローカルな話はその土地に住んでいる人に話すことで理解が深まることもあるが、現状、直近の自分を知る友人は今は遠くにいることが多いし、何より客観的な目線で見て出してくれる意見が心地よかった。(とはいえ、話によっては私個人の意見を通して伝えているところがあるので、そのバイアスは避けられないけれど・・・)

 

いやはや、

ほんのひとつき、自分から何も生み出すことができない間。

友人の言葉や声にどれだけ助けられたんだろう。

 

他愛もない話でたくさんの時間を共有することができた、本当にありがたい1か月だった。

 

おかげで今、忘れかけていたやりたいことをようやく思い出したりしている。

そして実は最近、これまでも考えはしていたがなかなか手を出していなかったこと、をなんとなく始めた。

これが完成する時は自分の中でまた何か燃え尽きたりするのだろうか。

現状、想像もできないけれど、休みながらも、どうにか向き合いたいな、と今は思う。

 

そんなことをいいながら、今月末は今日から少し地元を離れて楽しい日々を過ごします。

 

夏が来るよ。私はこの夏をどうしていく?

 

とりあえず、まだ「書く」ことはできそうだ。

*1:いつもの私にとっては「何もしない」ということが一番のストレスなので(大げさではなく割と本当に)、こうなってしまった時はいよいよつらいな、と思いその数日は「寝る」ことに徹した。(夜ご飯を食べて即八時に就寝、みたいな。「寝る」ことは「何もしない」には繋がらないと思っている。なぜなら夢を見てるから。)

何が正義という話ではなく

各々のこだわりと謙虚、というか虚栄もしくは怯えとか寂しさだとかが同居したサブカルチャーが好きだった 虚像と牽制 大声で話せないような気持ち悪い笑い方を我慢するような市民権がないような 仲間かと思ったら地雷を踏んだり 匿名をもって平気で傷つけ合うような それでいてすぐに身元を晒されるかもしれないそんなひりつきと隣り合わせになるような独特の閉塞感 現実から離れた高揚と居心地の良さを感じる瞬間

 

とてもしんどいので観返すのもなかなか気が向かないけれど、思い出すのが岩井俊二リリイ・シュシュのすべて」(2001)

地方の学生とサブカルチャー、集団の交わりの薄暗さ

 

ただの思い出です

 


Lily Chou-Chou - Glide リリイ・シュシュ- グライド

 

あらゆるものがメインカルチャーにすり替わった今でも新たなサブカルチャーが対抗して生まれる希望もあるだろう つみあがった地はなだらかな平坦になってはいくけど そんなことを考えていくこと 思い出すことそういう居場所を自分自身でも作ること

 

線と当たり屋

 

人が好きで、人と話すことが好きで。

そういう時間をわざわざ持つために1人でどこかに出かける時がある。
そうして居ると、物怖じしないとか落ち着いているとか、いわゆるコミュ力あるよね、とかって言われる事がある。
前二つはいずれも自分に暗示をかけて行っていることなので、最終的な結果としてのコミュ力あるよね、であれば喜ばしいことだ。

 

・・・喜ばしいことだ、と書いてそもそも、「コミュ力あるよね」、って褒め言葉なのか?と疑問に思った。
というのも、これまでの私の人とのコミュニュケーションというと、特に初対面の場合、『当たり屋』的な要素が大きいことを最近自覚してきたからだ。

 


当たり屋(あたりや)とは、交通事故の損害賠償金を取得する目的において、故意(未必の故意を含む)に交通事故を起こし、当該目的を実現しようとする者を言う。
(wikipediaより) 

 

 

ここで言うところの『損害賠償金』に代わるものは"その場の酒代"とか直接お金につながるようなことではなく、例えばその時に約束をして次の機会に再度会うだとか。初対面から知人、波長が合えばよく会う友人へ、『人間関係としてのランクアップをしていく機会を得る』ということ。

人の時間は有限なので、その限りある時間を自分と接するために使ってもらうと思うと、それはお金なんかより大事なものだし、もちろん何にも変えられない。なので、相手にとってはド迷惑になることもあると思う。そういった意味での、『当たり屋』的という表現をしていきます。

 

『事故』にあたる部分とはその名の通りで、例えばカウンターの隣の席に座った瞬間に始まっているのかもしれない。そして、そこで自分以外の誰かを見つけて、相手に気になることがあるとどうしても口をついて言葉が飛び出す。いや、ディスとか悪口とかではなくてですね。とりあえず説明の前にひとつ話を挟みます。


先日初対面の方と話していて、人との会話についての議題として出たのが、"1番回答に困る質問"について。
それは「◯◯のなかで(1番)好きなものって何?」という至極単純で、むしろ初対面ならば頻出するであろう質問と言われればその通りなのだけど。
では何故困るかって、それは本当に自分の好きなジャンルがその◯◯に当てはまった時、本当に答えたいものを相手が知らなかった時の反応にトラウマがあるからだと。


まぁそれは確かにその通りなのだけど、裏を返せばその話題を元にその人自身のかなりインナーな部分の話が出来るのではないか?と私は思う。
その機会は生かすも殺すも双方の会話や雰囲気次第なのだけど、私はこういった機会をバシバシに作って相手の中に入ろうとしてしまう癖がある。

 

人が話をする時の、どんどん内面が現れてくるあの瞬間が愛おしくて楽しくてたまらない。だから、話される内容に否定はしない。というか出来ない。そもそも初対面なのでその時の判断は難しいし、する方される方なんてものを作るとお互い好きなことが話せない。(法にふれるとか、道理として良くないなぁと思うときは微妙だけど)


「◯◯のなかで好きなものは何ですか?」
「嫌いな季節はありますか?」
「これまで出かけた中で1番遠いところはどこですか?」
「朝ごはんはパンですかごはんですか?」
「小学校の時の部活動は何をしていましたか?」
「最近、デートしましたか?」
・・・なんて。


勿論、相手の嫌なゾーンには気をつけて。

 

(ただその注意もあくまで自分のなかの「つもり」なので、それが相手にとって迷惑な当たり屋的行動であれば即座に反省・その身をその場から消すべきであるとは考えています。。)

 

そういうわけで、当たり屋的なコミュニケーションの取り方がこれまで功を奏したか、はたまたたいへんな迷惑になったかは私が知らないこともたくさんあるだろうけど、結果として受けるのが初めの言葉。

 

「コミュ力あるよね」、と。


・・・書いて居るうちにやっぱり褒め言葉じゃない気がしてきた。まあネガテイブはやめよう。


そうして人との会話をする中でも勿論、初めから、この人は人見知りだな、とか、人とお話しする上でいろんなものを守るために、ある程度の"線"をきっちりと引いている人は居る。

 

そうした人に会った時、私の身体はその線の前で急ブレーキをかける。


同時に、その人の内から出る魅力に気づかされる。

 

ああそうだ。コミュニケーションって、ゆっくりとゆっくりと、時間を重ねてすることだった。そういうシンプルなひとつの考えを、今更になって思い出す。
そうして出来た間柄は続く。その場限りではなく。それを最初からわかって、時間を無駄にせず、自分の大切なものを知って居る人たち。

 

そういう人との出会いがあって、普段の自分の当たり屋コミュニケーションへの自覚と反省が出たのだった。


それにしても、そういった方の魅力って本当に凄まじくって。私が言われる「落ち着いてる」なんて付け焼き刃のものなんかじゃない。
それまでの生き方が雰囲気となって纏われて居る。

 

でも、どうしたらそうなれるとかっていうものでもなくて。
私は私で堂々と生きていこうって、今はそれだけです。開き直りみたいですみません。
でも今はそれだけ。

 

 

どうしてたって生活 例えば頼るものは音楽

どうしてたって生活だ、と感じることが第一だと思います。

 

それは例えば風邪を引いたときに感じる、普段普通にできることが出来なくなってしまった時であったり 健康な状態でその普通をしている最中にふと、それらがすべていとおしくなったりする時 自分の空っぽさにただただ悲しい時など いろんな時があってその時どきの生活がありますが、今している生活、それが絶対的な答えである、というわけでもないこと、それがどうしてたって生活だと思い、最終的に愛しているうちは、楽しい暮らしができると思っています。

「はた目から見ていつでも明るいこと、が必ずしも健康ではない時があること」はこれが理由になるのかなぁ、なんて思ってみたりもします。いや、あくまで主観ですけどね。

 

それらをつかまえる時って個人的には言葉が大事だと思っていて、自分の言葉だけではやはり拙いので、実体にするために他人の言葉に頼ることがある。

それは映画でも本でも何でもいいんですけど、手っ取り早く自分の中に入れ込んだり、それを元に自らを吐き出したり、となると、自分としては「音楽」がいいな、と思っています。

地雷地雷といわれながらも、そういった生活を大事にしているバンドマンなんかは、いつまでもあこがれだし、やっぱりめちゃくちゃ大好きなんですよね。

とてもつらい時間を過ごした生活や、大切な人や仲間がいてくれた生活、恋人かどうかもわからない間柄との気だるげなあやうい生活、一人でもたのしい生活、なんでもない生活を歌っている人々。

 

それらを何度も繰り返し聴き、自分のことのように思い重ねた頃。そしてそうした頃を通り過ぎていくと、少し大人になって、その音楽に遅れて出会った人たちをときどき下に見ながら、その時の最新ヒットチャートや新しい技法の音楽を聴いたりして。そんな昔のものに構っている場合ではない、なんて言いながらその時の自分も置き去りにしたつもりで、聴くことが少なくなった音楽もいくつかあるでしょう。

 

それでも、今耳を傾ける音楽は、当時聴いたものでなくとも、やはり生活をなぞって歌われているものばかりではないですか?

もしくは昔よく聴いた曲を久しぶりに偶然耳にした時、やっぱりいいなぁって素直に口に出して言えなくとも、心の中でそう思うことは何度だってあったはずなんです。聴くアーティストや、独自の言い回し、歌われ方が変わっても、きっと根っこの部分は実は変わらない。

それは提供する側もそうだし、される側もそうなんじゃないかなぁ、と思います。考え方は変わっても、その時の自分はずっと自分を見てきているから。そしてそれもきっと生活の一部なんだろう、と思ったり思わなかったり思いたくない日もあるけど・・・。

 

そうして考えた時人に聞きたくなる。「音楽は好きですか?そして、何かの度に、聞いている音楽はありますか?」。そうやって聞かれてすんなり出てくる音楽、あなたにはありますか?

勿論なくてもいいし、いいんですけど、とりあえず私はあります。気恥ずかしいこともあるけれど、でもそれが変わらないのも生活です。

 

個人的な話。たぶん今ここ最近の中でも割といい状態で生活を愛していて、少しずつ、他人の言葉に頼らずとも生きていける気もしたし、それがないと出てこない言葉ももちろんある。

それでも、何もなく不安だった頃よりかは、少し幸せになった気持ちだと実感したりする。

そうして私はまたその音楽を聴きます。

これは私にとっては、きっといつまでも救いの歌です。

 


polka dots/FoZZtone

 


この曲を書いたのはもう10年も前ですが、当時から僕は「如何にしてユーモアで危機を回避するか」ということに作詞の面白味を感じていたのだと思います。
如何なる時も、ウィットなジョークでピンチをかわしたいものですね。
「その染み、消えないならいっそ水玉にすれば?」

決して上手いジョークではありませんが。

Vo.渡會 将士 (2014.5.3)

 

昔買ったCDは見当たらなくなってしまった。聴く機器は今手元にないのに思い立って昨日注文をした。

けどそれはそれでいいんだ。

どうしてたって生活だ。

 

 

 

思い込みの塔

「むかし住んでいた家の自分の部屋は二階でその窓からはちょうど赤と白の電波塔が見えていた。地方に住んでいたくせに私は色と造形からその塔を東京タワーと思い込んでいて、ディズニーランドは千葉にあるのに東京と頭につくように、この塔も東京にはないけれどきっと東京タワーなのだと信じてやまなかった。当時の自分の世界は縦には広く横には狭く、テレビで見る象徴は、すべて自分の近くにあると思っていたのだ。だから、漫画やアニメで見たようにいつか使い魔が現れて自分も魔法が使える日が来ると思っていたし、異世界に繋がるほら穴は街のどこかに絶対にあると思っていた。ただそれでも毎日触ることができる現実にはいやに敏感で、ほんとうはピンクが好きだったけど自分の肌やキャラクターに馴染まないことは誰よりも知っていたから、質問には青が好きと口に出して言ってみたりする。すると言葉は呪いだから口にしている途中でピンクが好きだった頃を忘れてしまったりする。白い食器や、やわらかなひだまり、不純な混じりのない美しいものだけを周りに置いて生きてみたいけれど、それらが世のいいといわれる周波と合っていたって自分の周波とはあまり合わなくなってくる。いつか身体から離れることを知っている。怖くていびつだったりするものを集め、これが完成形だと作り手の元を離れたもの、それに対する気持ちの切りの良さを感じて、ひどく安心するのだった。」

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静岡で落語 前

ある日テレビを観ていたら笑点特集をしていた。

落語を好きになり始めたのはここ最近のことでこの人の噺はいいな、と初めて思ったのは5代目三遊亭圓楽師匠(笑点司会としては4代目)。

ふだん過ごしていて常々思うのは、好きなものはぜひとも生でみたいということでそれは落語についても同じくだったが、寄席を探した時に初めて、圓楽師匠はすでにこの世にいないのだと気づく。この話はそれくらい最近のこと。

 

テレビの話に戻ると、メインは歌丸師匠の話で、その頃から歌丸師匠は身体の調子がもうギリギリのところじゃないか、という感じでそれこそ6代目円楽師匠の毒舌についても正直このまま笑っていていいのかしら、と余計なお世話なりに思ってしまうほど。(ご本人としては、そのままやればいいとのお話だったが)

その時ふと、5代目圓楽師匠の件を思い出したので横目でテレビを見ながら、手は歌丸師匠が出演される直近のイベントを探していた。

 

近場でいえば大阪・森ノ宮で毎年行われる東西特選落語会があったが人気なようで既にチケットは売り切れ。しかし今行かねば、と思う気持ちは止まらず予約したのは静岡・浜松で行われる東西名人会だった。

予約ボタンを押した瞬間からわくわくが止まらず、その日から毎晩寝る前に師匠の落語をききまくる。

 

さていよいよ出発日、翌日もお休みだったが日帰りとして、夜行バスで行き、翌日の朝に着く。行きの到着地点は沼津港。

計画としては朝ごはんを港の海鮮丼として、お昼は富士山の見える温泉に入浴しつつ、その後開演までの時間をどう潰すか考えよう、というもの。

  

沼津港の周りをうろつき、良さそうなお店に入って、早速丼を頼む。朝から食べる海鮮丼はひじょうに贅沢な気持ちにさせてくれた。

その日は確か水曜だったので、私以外にお客さんは誰もおらず。

GWが終わった翌週くらいだったので、お店の人ものんびりと構えてらっしゃったのがなんだかとても心地よい。

 

深海水族館にも興味があったが今回はやめ、そのまま港を後にし向かった先は御殿場。目的地はいよいよ富士山が見える日帰り温泉

下調べしていた情報によると駅からシャトルバスがあるとのことで駅からバス停に向かって歩く。そのまま待つこと15分ほど。

 

さてアウトレット行きのバスは何度も来るが、希望するバスは一向に現れず。

嫌な予感がしたので駅員さんに聞いてみると、土日のみの営業とのことだった。

タクシーであればすぐ着くとのことだったので、行き先を告げて乗り込んだ。

 

乗り込んだタクシーのおっちゃんは気さくな雰囲気でわたしに向かって喋り出す。1人?どうしてこんなへんぴなところへ?はぁ落語を聞きに、風流だねぇ、などと言いながらのんびりのんびり車を走らせる。山道は他に車がなく、静かな道のなかラジオの音とおっちゃんの会話を聞きながら進んで行く。が、途中メーターの値を見ておや、と思いはじめる。

 

「あの、すぐ着くとのことだったんですが、あと何分くらいですかねぇ」

「うーんと、いまやっと半分くらいだねぇ」

 

確かにそこまで遠くない道のりだったが、その時点でメーターは1500円の表示。

 

イメージだともう着いてもいい頃なのでは、とも思いつつ、着いた時には結局その2倍ほどの料金。ケチくさい気持ちになりたくないしこれが静岡の「すぐ着く」なのだと考える。申し訳なさそうになんかごめんねというお顔のおっちゃんには余裕です!と笑ってみせて温泉に入る。

 

(ちなみにくもりで富士山は見えず。

ありがとうございました。)

 

さて余裕ですね、と抜かした割に帰りも同じくタクシーで帰るとなるとうーん困ったなぁと思いながら、風呂から上がると畳が敷かれた大きな休憩室に私だけ。ということは独り占め。だらだらしていたらいつの間にか2時間ほど寝てしまう。その時点で午後3時くらい。すっきりしてフロントに行くと、えっお客さん何処にいたの休憩室で寝てた?もう誰もいないかと思ったら降りて来たからびっくりしたよ、ところでここへはどうやって来たの、と矢継ぎ早に言われたのでえっとタクシーで、と言うとええ、高かったでしょ!といわれ、あっやっぱり高かったんだ、と笑う。

 

帰りもタクシー乗ってくの、と聞かれあはは、歩いていけそうだったら下りだし歩こうかなぁ、と言ったらそれは...とのお顔をされたので、無理かと思った矢先に奥から別のおっちゃんが登場。一言、

 

「乗ってくかい?」と。

 

思わず抱きつきそうになったな、あのトトロみたいなふかふかしたお腹のおっちゃん。

というわけで御殿場駅までぴゅっと乗せてもらった。道中気をつけるんだよと言われお礼を言って、そのまま電車に乗りスムーズに降り。浜松まで乗り継ぎの電車をホームで待つ間、ようやく来た目的を思い出して落語に心と耳を貸した。

 

落語はものにもよるがひとつの噺で大体20〜30分ほどある。目の前を通る電車を見送りながら噺をきいているとようやく、これから生の落語をききにいくのだな、と思いにやにやしてきた。そうすると夢中になって乗るはずの電車も一緒に見送る。一回休み。約20分のロスタイム。

結局浜松に戻って来たのは開演10分前とぎりぎりの時間で、入って自分の座席を確認すると二階席の真ん中右端くらい。

 

会場に入って驚いたのは、今日、ほんとうに平日だよな?と思うくらいの満席。指定席は父親ほどの年齢のサラリーマンと、ご夫婦の間。

思わずきょろきょろと見渡すと、おしゃれしたおじいちゃんおばあちゃんがうれしそう。皆今か今かと開演をまちわびている。

 

この時点で既に、心にジンときたものだった。

 

 

 

(後半につづきます)

(といいつつ、まとまらないので気が向いた時にしれっとあげます )

 

 

 

 

山手線ゲーム テーマ:花の名前

いつかの飲みの席、元々4人ほどで飲む予定が私ともう1人の男の子以外皆遅刻になるとのことで、とりあえず先に2人で飲んでいた時の話、という感じのうそを言いますね。

 

その集まり自体久しぶりだということで実は正直行く前からなんか緊張してました。しかも、そのもう1人というのがこうして会うのは本当5年ぶり?くらいとのことで、5年なんてすごい歳月だから、さぞ話が盛り上がることだろうな、と思ったけれど、後から人が来た時に同じ話を何度もさせるのは申し訳ないな、とも思って初めは本当に当たり障りのない最近の話ばかりをして。
そうしているうちに30分ほど経ってまだ誰も来ず。目の前の彼は昔はそんなキャラでもなかったはずなんだけど、どうやらやたらと飲みたがりになっていて、2人で話してばっかもつまんないしなんかゲームして飲もうよ、なんていうもんで、私そういうのあんまりよくわかんないんだよね、と告げるとじゃあ1番簡単なゲームしよ、山手線ゲームとか!というので仕方なく2人でやり始めました。


言い出しっぺが負けるとはこのことなんですけど、国の名前、果物の名前、同じクラスだった人の名前、なんてものはすべて私の勝利でした。その度彼は大きめのビールジョッキを一気飲みしていったんで、なんだか申し訳なかったけどまだまだ!と言いながらヘラヘラ笑ってる。いたたまれなくなって、なんかあんたの得意なテーマはないの?と聞くとえ〜っとね、と考えるうちに一言、じゃあ花の名前はどう?と言ったんで、へぇ珍しいねそれやろうよ、と言って始まった山手線ゲームで私は彼に初めて負けました。
私が言ったのはせいぜいバラ、たんぽぽ、かすみ草、ぐらいのものだったんですけど、彼が言ったのは珍しいカタカナの名前ばかり、カーネーションとかスターチス、ベゴニア、アネモネだったか。

気になって、詳しいの?としっかり一気飲みした後に聞くと、彼はまあね、と言って飲む。その時やっと参加者であり今回の飲み会の主催者である友人がごめんごめんと言って合流した。
ひとまず乾杯したわりにビールを飲まずにで?と、彼に向かって彼女が聞くので、私がぽかんとしていると、あれ、てっきりこの時間で聞いてるもんだと思ったよ、なんて言うので何のことやら説明してよ、と私は聞いた。ここからはとっくに出来上がった彼が、ずっと我慢していたものを吐き出すように言ったこと。

 

いやさ、1年前くらいまで付き合ってた子がつい最近結婚したっていうのをFacebookで見ちゃって。もう未練ないと思ってたけど昔のこと思い出してマジでやるせないなぁと思っただけで。

 

そーなんだってさー。私もそれたまたま聞いちゃってさ〜そりゃ飲まなきゃでしょって言って、でも2人で飲むなんてなんか空気しんどいじゃん?で、共通の友達で近くにいるのって中々居なくてさ、久しぶりだし皆で飲もっかーってなって。さ、続けてどうぞ。と彼女はいう。彼はそのまま喋り出す。

 

えーっと、そうそう、大学から付き合ってたんだけどその子就活失敗したって言ってフリーターでアルバイト何個かしてたんだけど、それまで実家だったのが一人暮らしになったっていうから初めて家行った時にびっくりしたのが部屋に観葉植物とか、とにかく沢山花やらがあんの。ドライフラワー?とか。
こんな花好きだっけ、って聞いたらバイト先で帰りにいつも貰うからって。へー花屋でもバイトしてんだ、じゃあ花詳しいの?って聞いたら、彼女はうーんと困った顔をして、まだ全然わかんないけど、辞典買ったからって分厚い本出してくれた。そうしてるうちに他のバイト行かなきゃって彼女は家を出た。
彼女はほとんど夜はバイトで家に居なくて、俺はそのまま家居ていいからって言われてそれが段々普通になった。
彼女は深夜には帰ってきてくれるけど、それまでの時間俺は何するでもなくテレビ見たりして。でも毎日1人でそうしてるのも飽きてきてて。まだ鍵預けられてないから一旦入ったら出れないし。そんな時、ワンルームの家には多すぎるだろってくらいの草やら花やらがまた気になりはじめてしょうがなかった。
しかも彼女が最近世話きちんと出来てないんだよねって言ってたんだ。そこで、別に直々に頼まれたりしたわけじゃないけど、それからは俺が代わりに毎日毎日、花瓶の水替えたりたりしてた。やってるうちに愛情もこもってくるもんだよな。上手く育ったら喜んでくれるかなーとか。分厚い辞典でその花の名前も調べたり。
彼女が花持って帰ってくるのもなんか楽しみになってきて、花瓶も買って行ったりしたり。


つって、あんまり長くなるのもアレだから簡潔にいうと、彼女花屋でバイトなんかしてなくて、水商売してた。んで、ずっとおんなじ奴から、花とか、貰ってたらしいんだ。今となっちゃ別にどうでもいいけどね。でも結局そいつと結婚したんだってウケるよな。もうそんなバイトしなくていいようにしてあげたいって、ずっと言われてたらしいんだ。なんつーか大人大人。大人か?いや大人だな。

だってその時の俺はそんなこと気がつきもしなかった。ただある時、花の辞典見てる時に気がついたんだ。家にあった全部の花の花言葉がスゲーの。愛のめばえとか、気持ちに気づいてとか、真実の愛とか。
最初舞い上がったよ。俺のことかなって。でもなんでもっと早く気がつかなかったかな、余って持って帰ってくるわりには綺麗に包んであるのをあえてクシャっとさせた感じだったし、でもたまーにしわくちゃのリボンとかシールが部屋の中に落ちてたりすんの。指摘したらリボン結ぶの下手で練習してるんだって、まぁウソだったんだろうけど。


で、結局なんで別れたかって、そもそも帰りが遅くて、最後の方なんていっつも酒臭くてさすがに感づいたんだ。気づいちゃったらやっぱり、なんかちょっと嫌だったから言おう言おうと思ってよし今日!と思って彼女の家に行った日。その日玄関入った瞬間、彼女がはいって俺に花を渡してくれたんだ。いつもと違って、綺麗にリボン結んであった。え?って驚くと今日バイト入れてないからって。なんで?って、思いも寄らなくてびっくりして何も言えなかった。けど、彼女は今ご飯作ってるからって言って台所に戻ったけどすぐごめん、ちょっとスーパー行ってくるといって外に出ていってしまった。

 

こっからは超女々しくて申し訳ないけど、いつもの癖で調べたんだよな、彼女がくれた花はダリアなんだけど、ネットで調べてすぐ目に飛び込んで来た花言葉は裏切りだとか移り気だって。意識してないにしてもなんか超ウケたよな。あーなんか伝えたいのかなって。他に好きな人できたってこと。いやどんどけネガティヴだよって話だろ。
でも1番何がウケるって、後で気づいたことにはほんとはその日俺らが付き合った記念日で、彼女は実はいつもの感謝の気持ちでくれたんだって、その花。
でもなんかその時俺はたまんなくてそのまま外出ちゃったんだ。
その後何回も何回も彼女から電話が来たけどなんかもうどうでもよくなって。
でもやっぱり気になって、その後共通の友達に聞いたらもうあの子彼氏居るからって。そういうわけ。そういう、そういう。


そこまで聞いて、ようやくもう1人がごめん仕事終わるの遅くて!と合流した時には彼はもうべろんべろんで、これまで何の話してたのってその子がどれだけ聞いても彼はもう話すことも難しそうだった。

結局その日は夜も遅いしもうみんな飲めない、となってしまってゆるやかに解散

最後に彼が、俺らは結婚遅そうだなぁなんて笑った。一緒にすんなバカ、といった主催者の女の子。

ふたりはあの後付き合ったそうだ、と、 風の噂で最近聞いた。

 

 

それでも花屋でダリアを見ると、時々この話を思い出すことがあるよ。

 

ダリアの花言葉:華麗 優雅 感謝 裏切り 移り気