2014年から再稿:祖母のこと

私は母方の祖母のことを「おばあちゃん」と呼んだことは本人や家族の前では一度もないし、心のどこかで実は不死身の人か魔女の類なんじゃないかと疑っていた。いつからかは知らないけど、家の中でも暗くてせまくて、でもなぜかクーラーとタンスはどの部屋よりも一等のものが置いてある小さい部屋に、趣味の海外旅行先で購入したわけのわからない仮面だとか、気味がわるい人形とかを飾っていたし。

毎日化粧をかかさず、一番好きなブランドはイヴサンローラン、いやエスティーローダーだっけ、別にどっちでもいいけど、服だって私や姉とおんなじ服屋で買っていて、それでも不思議と浮いてないところがやっぱりなんとなく魔女クサさを助長させた。

そのうえ口が悪くて世の中のことをシャバとか呼ぶし、マジックとか怪奇番組か大好きで、齢80を過ぎても本当に足腰がつよくて元気な人で、今でもびっくりするけど私が履くよりたっかいヒールのパンプスを履いて友だちと飲みに歩いていた。

何より自分に自信が満ち溢れている人だったし、誰かが彼女を苦笑したり、冷めた目で見ても折れない何かがある気がしていた。

そんなだから、私は祖母のことを死んでも死なないような不死身の人だと昔から思い込んでいた。何より、彼女の口癖である「どうせ私はもうすぐ死ぬからね」という言葉のせいでもあった。

きちんと聞かされてはいなかったけど確実になにかの病気を患っていて、色々な薬を飲んでいたことも知っていたし、最初こそ驚いて信じていた。けど、そう言い始めたのは覚えている限りでは多分10年前くらいから。きっかけは年金をもらいはじめてから、1年に数え切れないほど海外旅行に行っては湯水のように金を使うことを家族に非難されたことからだ。

「言いたかないけど、どうせ私はもうすぐ死ぬんだから、好きなことやんないとダメなんだ」

そう言って、もう10年。その10年の中で、何回旅行にいったり、何度酔っ払って帰ってきては風呂場ですっ転んだにも関わらず次の日にはぴんぴんしていたりしていたことか。そんな感じで単純に生命力に溢れすぎる人だったから、正直その口癖に私は飽き飽きしていた。オオカミ少年みたいなもんで、言われるたびに「また始まったか」って感じでたぶん家族の誰も聞く耳をもっていなかった。おそらく本人も面白半分に口にしていたとおもう。それが私が高校までの話。

そこから月日は流れて私は大学に入学し、実家を離れ一人で暮らしを始めた。たまに実家に帰るたびに、彼女の旅行話を聞いてはげらげら笑っていた。だってこの歳になっても友だちと旅行先で喧嘩してもう絶交したとかいう話してくるし、ありえないだろう普通。大学時代、実家に帰る楽しみのひとつはこうして彼女の話を聞くことでもあった。

そんな彼女が入院したことを知ったのが、今年の六月に帰省したとき。

私が帰ってくるということで、前日行きつけの飲み屋特製のギョウザを買いに行きにし、酔っ払って道で転んだらしい。いや、ギョウザて。好きだけど。その日もいつものごとくヒールのパンプスを履いていて、転び方が悪くそのまま骨折したそうだ。単純にはしゃぎすぎ。普通にその時はあほかと思った。

帰省してすぐ病室にかけつけると、オイオイ泣きながら自分を責めるもんだから珍しく落ち込んでるなと思ってすぐ治るよ、と声をかけると、「今月も台湾と横浜に行く予定があったのに・・・」などという。こいつはまったく懲りてない。さすがの私も呆れて何も言えなかった。

「病院食もまずいし見舞いに来る友達にすっぴんを見られるのもこりごり。早く退院して音楽聴いたり美味しいもの食べたい」と言う彼女はああまりにもいつも通りで、何を言っても聞かないだろうと判断した私たち家族はそのまま病室を後にしたけど、そういえば最近あの口癖を聞いてないな、ということに病室から出て気がついた。

きっかけは今年のお正月に彼女の夫である私の祖父が亡くなったことかもしれない。祖父が亡くなってから、80を過ぎて落ち着いていたはずの旅行癖や飲み癖がよりヒートアップしていたそうだ。

身内の死があって、軽はずみなことが言えなくなっちゃったんじゃない。家族はそう言ったけど、まぁ、彼女のことだからすぐに退院して、這ってでもどこかに出かけるだろうと私は思っていた。そういや、最近ジャズに興味あるし、退院したら彼女が持ってるたくさんのレコードから聞かせてもらおう、とかそんなこと考えてたのが六月の話。

それで、七月になって八月になって、

彼女は魔女でもなければ不死身でもなく普通の、82歳のおばあちゃんだったということに気がついたのが彼女が亡くなった昨日。

意識がなくなったのはほんの2週間前のこと。

その後連絡がなく、もう退院したのかな、と思っていた矢先。姉から「前日まで普通に病室で話してたのに、急に意識がなくなった」ってメールが来たけど、その時はぜんぜん信じられなかった。「元々脳の病気があって、急に悪化したらしい」?「もうしゃべれない」?いやいや、だって、ちょっと前、あんなぴんぴんしてたじゃん。アホかよ。どうせまた意識もどるっしょ。いつもの感じで。とか、色々考えた。

それで2日前、帰省して見舞いにいった。病室は個室に移されていた。入った瞬間、彼女が趣味でよく聴いていたジャズの音楽が聞こえてきた。ほらやっぱ意識あるじゃん、と思ったけど、意識がなくなる前、ずっと聴いていたものを担当のナースさんがかけてくれていたことだった。見ると祖母は本当に意識がなかった。覇気もない。普通の人みたい。なんだこれ。

と、いうような状況を目にしても私は、いやいやいや、そんなん、知らないし。かかってるこの曲も、よく聞いてたけど結局なんてやつか、わかんないじゃん。退院したら教えてもらおうと思ってたんですけど、何最後までかっこつけちゃってんの、あほかよと思うしかなかった。

なんだかその状況がまったく飲み込めなくて、その時わたしはまだ、いや絶対、この人は死んでも死なないし、絶対意識もどるしとかなんとか思って、そのまま京都に戻って仕事して、それで昨日。

父から「亡くなりました」ってだけメールがきた。

ぜんっぜん実感わかない。そもそも、意識がないってとこから、飲み込めてなかったのに。

なんだかあっけなすぎて、未だに信じられないし、すっきりしない。そんなことを考えながら今これを書いてても、やっぱりどこかで、またぴんぴんしてんじゃないの?とか思ってる自分が居てなんだかなぁと思うし、その反面いろんな思い出が蘇ってきてなんかいそがしい。

そんな中で思うことは、

一緒に暮らしててもそうだけど、離れて暮らすと、思いのほか自分が家族のことに鈍感になるっていう怖さがあるということ。

一人暮らしをはじめて、ありがたいことに無事4回誕生日を迎えて、自分が歳をとるってことを当たり前に実感していた。

それで、自分が歳をとるってことは、家族が歳をとるのも必然なはずなのに、どうして当たり前に、うちの家族に限ってなんもないでしょ、とか、ずっと元気だとか思ってたんだろう。

記憶のなかにある祖母は、ずっとぴんぴんしたままの感じだ。祖父もそうだった。だけど、離れてくらしている間、言われていないだけで、静かにでも確実に、彼女の病気は進行していたんだろう。きっと見ないうちに老け込んでいるところもあっただろうなぁと、今更ながらに思ったりする。

彼女だけじゃなく。姉も父も母も。いつかはそうなる日が来る。絶対。

そう思うとなんかすっごい焦るし、今出来るうちに何かしないとって、嫌でも思ってくる。

それこそ、彼女の口癖であった「もうすぐ死ぬし」っていうのを、ポジティブにもネガティブにも捉えていくべきなんだろうとも思う。

いつどうなるかなんてわからん。マジでわからん。
とかなんとか、そういうことを色々書いてても、なんだかやっぱり全然しっくりこない。お悔やみ申し上げます、とか、かわいそうに、とかいわれても、はて、なんのことやら、としか思えないのが今のかんじ。

まあ、でもいまとりあえずこんだけ書いて改めてわかったのは、マジでうちの祖母は破天荒でアホで、でもなによりどこのばーちゃんよりイカしてたんじゃないのっってことだ。

だって正直、こんなばーちゃん、いないっしょと思う。いまんとこ、聞いたことない。

書いててネタかよって思ったけど全部実際のことっていうのが逆におそろしい。

色々書いたけど、その血を受け継ぐ孫として、結局んとこ、結構誇らしい。

実家にかえって、式にでても、みんなきょとんとしてそうだ。 遺言とか残してるんだろうか。 みんなでわいわい騒ぐのが好きだったから、しんみりすんなボケとか書いてあるかもしれない。 そうおもうと不謹慎だけど、ほんのちょっと、面白い。
こんな感じで、わたしはそんな祖母をなんやかんや心より尊敬していたってことを、彼女がいなくなってから感じはじめているような気がする。とか書いてたらなんとなく実感が湧いてきた。ような。

とりあえず、あさって祖母の顔をみて納得させようとおもう。

うまくまとまらないけど、すっきりしたのでお風呂入って寝ます。