線と当たり屋

 

人が好きで、人と話すことが好きで。

そういう時間をわざわざ持つために1人でどこかに出かける時がある。
そうして居ると、物怖じしないとか落ち着いているとか、いわゆるコミュ力あるよね、とかって言われる事がある。
前二つはいずれも自分に暗示をかけて行っていることなので、最終的な結果としてのコミュ力あるよね、であれば喜ばしいことだ。

 

・・・喜ばしいことだ、と書いてそもそも、「コミュ力あるよね」、って褒め言葉なのか?と疑問に思った。
というのも、これまでの私の人とのコミュニュケーションというと、特に初対面の場合、『当たり屋』的な要素が大きいことを最近自覚してきたからだ。

 


当たり屋(あたりや)とは、交通事故の損害賠償金を取得する目的において、故意(未必の故意を含む)に交通事故を起こし、当該目的を実現しようとする者を言う。
(wikipediaより) 

 

 

ここで言うところの『損害賠償金』に代わるものは"その場の酒代"とか直接お金につながるようなことではなく、例えばその時に約束をして次の機会に再度会うだとか。初対面から知人、波長が合えばよく会う友人へ、『人間関係としてのランクアップをしていく機会を得る』ということ。

人の時間は有限なので、その限りある時間を自分と接するために使ってもらうと思うと、それはお金なんかより大事なものだし、もちろん何にも変えられない。なので、相手にとってはド迷惑になることもあると思う。そういった意味での、『当たり屋』的という表現をしていきます。

 

『事故』にあたる部分とはその名の通りで、例えばカウンターの隣の席に座った瞬間に始まっているのかもしれない。そして、そこで自分以外の誰かを見つけて、相手に気になることがあるとどうしても口をついて言葉が飛び出す。いや、ディスとか悪口とかではなくてですね。とりあえず説明の前にひとつ話を挟みます。


先日初対面の方と話していて、人との会話についての議題として出たのが、"1番回答に困る質問"について。
それは「◯◯のなかで(1番)好きなものって何?」という至極単純で、むしろ初対面ならば頻出するであろう質問と言われればその通りなのだけど。
では何故困るかって、それは本当に自分の好きなジャンルがその◯◯に当てはまった時、本当に答えたいものを相手が知らなかった時の反応にトラウマがあるからだと。


まぁそれは確かにその通りなのだけど、裏を返せばその話題を元にその人自身のかなりインナーな部分の話が出来るのではないか?と私は思う。
その機会は生かすも殺すも双方の会話や雰囲気次第なのだけど、私はこういった機会をバシバシに作って相手の中に入ろうとしてしまう癖がある。

 

人が話をする時の、どんどん内面が現れてくるあの瞬間が愛おしくて楽しくてたまらない。だから、話される内容に否定はしない。というか出来ない。そもそも初対面なのでその時の判断は難しいし、する方される方なんてものを作るとお互い好きなことが話せない。(法にふれるとか、道理として良くないなぁと思うときは微妙だけど)


「◯◯のなかで好きなものは何ですか?」
「嫌いな季節はありますか?」
「これまで出かけた中で1番遠いところはどこですか?」
「朝ごはんはパンですかごはんですか?」
「小学校の時の部活動は何をしていましたか?」
「最近、デートしましたか?」
・・・なんて。


勿論、相手の嫌なゾーンには気をつけて。

 

(ただその注意もあくまで自分のなかの「つもり」なので、それが相手にとって迷惑な当たり屋的行動であれば即座に反省・その身をその場から消すべきであるとは考えています。。)

 

そういうわけで、当たり屋的なコミュニケーションの取り方がこれまで功を奏したか、はたまたたいへんな迷惑になったかは私が知らないこともたくさんあるだろうけど、結果として受けるのが初めの言葉。

 

「コミュ力あるよね」、と。


・・・書いて居るうちにやっぱり褒め言葉じゃない気がしてきた。まあネガテイブはやめよう。


そうして人との会話をする中でも勿論、初めから、この人は人見知りだな、とか、人とお話しする上でいろんなものを守るために、ある程度の"線"をきっちりと引いている人は居る。

 

そうした人に会った時、私の身体はその線の前で急ブレーキをかける。


同時に、その人の内から出る魅力に気づかされる。

 

ああそうだ。コミュニケーションって、ゆっくりとゆっくりと、時間を重ねてすることだった。そういうシンプルなひとつの考えを、今更になって思い出す。
そうして出来た間柄は続く。その場限りではなく。それを最初からわかって、時間を無駄にせず、自分の大切なものを知って居る人たち。

 

そういう人との出会いがあって、普段の自分の当たり屋コミュニケーションへの自覚と反省が出たのだった。


それにしても、そういった方の魅力って本当に凄まじくって。私が言われる「落ち着いてる」なんて付け焼き刃のものなんかじゃない。
それまでの生き方が雰囲気となって纏われて居る。

 

でも、どうしたらそうなれるとかっていうものでもなくて。
私は私で堂々と生きていこうって、今はそれだけです。開き直りみたいですみません。
でも今はそれだけ。